When it’s ready.

出来るまで出来ない

協調と独立 デザインとは?

もしかしてみんな、自分が作りたいものと、お客さんやユーザーの要望との狭間でとても辛い思いをしているんでしょうか?

だって、デザイナーだよ。誰かの望みを叶えるためにものを作る人でしょう?
デザイナーがアーティストになったら、願いを叶えられないよね。

(via:[作ることは、目的じゃなくて手段でしょ?]http://fuuri.net/?p=133)

凄く幸せそうな人が居る。なにを持ってデザインかは置いといて、何かを誰かのために作る時に、辛い思いをしてない人がここ居る。そんな仕事は、辛いのは当然と思っていた自分にはちょっと、衝撃だった。
 ここは、右でしょとか、もう少し大きくとか、速くとかそういう、些細なことから、そもそも何を作るのか(作るべきなのか?)という粒度まで、発注者と完全に意見が合う事なんてあるのか?

作る側は、制作にするにあたって、発注者より上手(うわて)でなければならない。なぜなら大抵の場合、「技術的」「時間的」「経済的」な理由でクライアントは自身での制作は不可能と判断し発注する。クライアントが制作可能であれば発注は存在しないと考える。(クライアントからの夢の希望を実現可能にするのも面白いけど)
 そんな状態(制作者が上手)で、つらい思いをせずに作れるとはどういう状態なんだろう?

クライアントが、こんな風になりたい(したい)と要求が来て、それが、大抵の場合あまりベストなモノじゃなかったりする。それをそのまま作って、クライアントが例え大喜びしたとしても、私はうれしくない。むしろ、申し訳ない気がしてくる。(我が侭だけど・・・)

どこかを変更すれば、もっと良くなると思えば、なぜそうなるのか?出来る限り説明をして納得してもらいたいし、分かってもらえないとしても、好きにやらせてもらって後で理解してもらえれば良いと思う(傲慢すぎるな)数字でスペックを出せる分野は楽だと思う。

デザイン、操作性等数値化しにくい分野は、デザイナーとかアーティストとかいう荒唐無稽の言葉で誤摩化しながら、自分のやりたい事をセコセコとちりばめて、日銭を稼いで行くしか無いのかなぁと思う。