サイコロは、存在する時点で既に振られている。神の有無にかかわらず[ネタ]
「時間は連続ではない」なのか?
という疑問で、面白い話をしている人たちが居る。ここ1年くらい超ヒモの本読んで居たりしたので、とても興味ある分野だ。
相対性理論 + 不確定性原理 = 哲学 ?
超巨大と超極小の世界を説明出来ない時代は終わり、なんとなく説明出来るんじゃないの?という風になっている超ヒモ。
人が何かを理解する為に作った、数学という表現方法に落とし込む為に、最小の単位というものが必要になり。それを元にmetaな構成ブツを定義して行く。そんな風に考えて行くと、そもそも、連続という状態の定義すら難しくなる。難しくなるというのは、思考出来ないと近似の状態。
そこには、哲学で説明します的な状態が存在すると思う。
力の観察、ゲージ不変性
何かが存在する、運動する、そんな様な事を測定する為に今は、ゲージ場とゲージ粒子を持ちいて理解している。それでも矛盾が有るから、ヒッグス粒子がまとわりつくとかそんな、まだ見つかってないもので測定を定義しようと頑張っている。まぁ、よーするに学者の人たちは世界は、ひもで出来ててそれらには力が作用していると説明したいんだな、という風に理解してる。
速度とか、変化とか行ってる時点で、連続した世界で話をしているのに、時間は連続じゃないというのに、違和感を覚える。実際の時間は連続だが、学問的には非連続ですよ。そう思うのが自然だと思う。
神は、サイコロを振らないかも知れないが、サイコロが存在する時点ですでに振られている。そんな感じ
意味は無いが・・
こんな事を考えたりしても意味は無いが、とても楽しいしワクワクする。
なんでだろう?興味ある人どっかで話そうよ!