When it’s ready.

出来るまで出来ない

マイナス30度の中で

アラスカに来ています。目的は「死ぬまでにオーロラ見る」を達成するため。
出発日にパスポートが見つからず、いつの間にか捨ててしまったと信じて、穴埋めのつもりで函館行って夜景をみるなどしていました。その後、パスポート再発行する時に偉大な力が働いてパスポートが見つかり急遽予定を短縮してアラスカ州のフェアバンクスに今居ます。4夜オーロラ観察のチャンスが有ったのですが、結果2勝2敗でした。オーロラが出ないんじゃなくて、雲が出てオーララが直接見えない感じです、雲全体がうすら緑色に染まってる時があって「あぁ、今頃出てるなぁコレ」みたいな状況が何回かありました。

三脚やらを持ち込んでオーロラの撮影を楽しみにしていたのですが、苦行ですねコレは。
温度がまずヤバイ、マイナス30度とか超えてるんですよ。

グローブしてると操作が一切できません。よく寒い所では金属部分触ると良くないとか言いますが、マイナス30度のところに数時間放置されたカメラは、カーボンだろうが、プラだろうがどこ触ろうが危ないです。ドライアイス握ってる感じです。一瞬で痛くなる。よく冷えた部分だとくっつきます(何リョクなんだろ?)

そんな状態でも、操作をしなくては撮れないのでグローブ外して頑張ります。次にヤバイのが暗さです、暗くて全然見えないんです全てが。オーロラ観賞ポイントは暗い所が多いので手元が全く見えません。ライトを使いますが、周りで撮影している人を考慮して、光量の少ない赤いランプを使っていいました、そのせいか全然見えない。見たいのはデジカメの液晶ディスプレイだけど、温度が下がるとモノクロ液晶の反応速度が秒単位まで遅くなります。ダイヤル回したときに何を設定したのか全くわからない。以前の設定も半消えだし、新しい設定もまだ表示されない。ほとんど感でボタンを数えながら押して、バルブ秒数の設定やら、インターバルの設定、ISO感度の設定などを行います、ボタン類に触る時も毎回痛みが走ります。そんな中でも幸いなことに背面のカラー液晶はサクサク動くので、撮影>確認>設定変更の繰り返しで設定を煮詰めていきます。

それで撮った幾つかの写真をFlickrにアップしました
http://www.flickr.com/photos/a2c/6599797727/in/set-72157628604075081

一枚取るのに、短いもので40秒長いやつだと5分とかかかります。だいたい1〜2分がいいところ(感度は400〜800)2分だと10枚取るのに20分以上かかります。オーロラは一回出ると15分間出現して、その後消えるとかいうので、設定ミスるとアウト・・・ オーロラの美しい写真とかありますがあれは相当訓練積まないと撮れないと思う。ということは、この極寒の状況に何度も挑戦するということ・・・さすがに勇気がいると言うか、普段パンツ姿でノーパソ上のLLとじゃれてる情弱には堪えます。でも何回でもチャレンジしたくなる気持ちも分かる気がする。

やりたいこと、やるべきこと

ロッジのオーナーとオーロラ待ちの時に話してて気付かされたことがあった。
5年暮らせば土地が貰えるという話で、2世代前の祖先がアラスカに引っ越してきたらしい。オーナーは、親から分与された、100エーカーの土地で夏に野菜を育てて、冬にはロッジで観光をしている。オーナーは、とても気さくな明るい青年。多分20代後半。サービス精神が凄く旺盛で、寒くないか大丈夫か?今日は雲がはけたらオーロラは絶対見えるよ!とかとか、いろいろ話した。サービスだったのかも知れないがお客さんに是非ともオーロラ見て帰ってほしいオーラが出まくってた。
 土地を売った人達もいるらしいけど、オーナーはまだ続けるみたいな事を言ってた。妹さんも地元の大学に通っていて教育を学んで、地元の学校で先生をするって言ってた。オーナーは来月彼女と、NYとかフロリダとかバケーション行くのが今から楽しみだぁみたいなこと言ったり、ホント色々やりたいことをやってたりしていて、仕事も遊びも充実させていて素敵な人生だなぁって思った。普通に考えたらマイナス30度の中で、誰とも知らないお客さんを22−26時まで、雪の中一緒に行って地元の人には珍しくもない空をタダ眺めて、翌朝8時から朝食作るとか辛い仕事だと思うけど、楽しんでやってた。お客さんに”思い出”や”感動”を提供しているという自負が有るんだと思う。

 ネットで社会を変えたいという理由で小さな会社がいくつも、どこかの国では立ち上がっている。その後、ニーズとか経済合理性とか、その他いろいろな外力で、ホントにお前らは初めからそのサービスと作りたかったのか?と小一時間(ry なサービスに変貌したものも幾つか有るとかないとか。経営者側の立場からすれば、養わなければいけ無いとか株主が云々等々理由はあるだろうし、そんなサービスの中でも面白みはたくさんあるしそれを楽しんでるエンジニアも幸せだろうと思う。(やってみてから言えといわれれば全く何も言えません。無職ですから・・・)

しかし、その動機となったモノの方向性が大きく変わった段階でその後幸せになれるのだろうか?経済合理性やその他圧力によって変わったナニカで、人生はどの程度のプラスに働くのか?プラスとはナニカを考えたら夜も寝られないけど、自分では死ぬときに「いい人生だったなぁ」と思えることがプラスだと定義している。

  • 人生A = やりたい事 + 少なめインカム
  • 人生B = やりたい事以外 + much インカム

こんなにシンプルな式じゃないかと思うけど、自分も含めて多くの人がPlanBを選択している気がしなくもない(そもそも仕事につけてるだけで幸せという話もあるかも知れないがそんなもん頑張ればどうにかなるだろうと思うんだが)
日本に帰ってから、もっと自分に素直にやりたい事とやるべきではない事を明確にできるようになった気がする、静寂の極寒世界だった。