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When it’s ready.

出来るまで出来ない

MD5部 初回活動 ジャージ購入が待ち遠しい

モーションダイブ Ver.5のUstが長時間あるからと時間をたっぷり用意して週末見てました。全くスケジュール通りに進まず、肝心のMD5に触れる時間も極端に少なくなってしまったのが残念ですが、今後もあるようですし気長に期待。次回は、もっとMD5自体に興味があるゲストを中心に呼んだ方がいいかも知れない。

ところで、なぜかUstを複数人であつまってトーク形式でやるとメディア論や対テレビ、権利関係の話が出てきます。それ専門にやっているわけでもない人たちがそれらに関してあーでもないこうでもないというのを延々やっていたりする訳です。なんか一方的な気がしてそれも勝手な感じがして、書かずには居られない。

レースカーがある、売値は9000万円。その後キットの自動車が出たとする、100万円。どちらも大人が複数人乗れるし、タイヤが4個ついている、エンジンもついていて値段が90分の1になったよ!ってスゲーこれ、革命じゃん!みたいな。盛り上がったとする。でも、そもそもそれって同じものか?レースカーには、外部に露出したKillスイッチやら消火設備、ドライバーが自律的に脱出するのにかかる時間の規定やら色々細かいルールがある。キット車にはそんなルールもなく気軽に遊べる、それらルールを無駄なものとしレースカーって前時代的なものだよね、お金かかりすぎるよねとちょいと否定気味に語る。そもそもそれらのルールは乗車している人や観戦している人を守る為にある訳で不必要なものとは言えない。たとえ、理不尽なルールが有ったとしても、無意味にあるわけではない。“意味”に関しては、それぞれの立場に応じて利害が一致しないこともあるが、すべての立場に応じて利害が一致することはあり得ない。そういったさまざまなルールがなんのために有るのか?一見自分には関係の無いルールが長期的、広義的な意味で自分にどのような影響を及ぼすのか?それらをもっと我々は、考えて行動するべきである。長い間政治に無関心だったせいで、そろそろ自分たちに悪影響を及ぼす状況になってきているのかも知れない。

個人的な見解だが、UstとかTwitterのコアには同じようなものがあると感じる。それは、“繋がり”とか“状態”とかそういうものの具象化であり、今まで見えなかったものの“見える化”である。そして、それらを実現するためのコストの著しい低下が共通のコアだ。一方マスメディアは、“繋がり”とかそういうものは極力隠蔽するし、電波料とか設備とかは、激しくコストが高い。そこを比較すると、全くもって違うものである。ただ成果物を比較するとなにやら似たような物に見えてくる、カメラや文字を使って遠くの状態が手元で見える、テレビもUstもTwitterも同じ目的を持っているようなものに感じる。だけど、レースカーとキットカーの目的がそもそも違うように、“繋がり”とか“状態”とか“報道”とか“広告”とかに対する考え方が全く違うものを二つ並べてひとつの目的があるかのように語るのはおかしいだろうと思う。(26時間やって5万人、そのうち自分だけで10人分は稼いでいそうな気がする。)

28時間の途中で、取材が来た時も取材対象や取材方法のディテールも聞いてない人が、自分が思っていた取材と違うだけで色々言っているのを見て残念な気持ちにもなった。目的が違う人達が同じ事を見ても、それらに対する行動は全く違うものになる、それを許容出来なければ最悪の場合には戦争に発展する。そう思った瞬間だった。

週末のMD5のUstで、メチャまともなことを言っている人がいた。例え話のディティールとか考え方の捉え方とかが鋭いなぁと感じた。その人が@daizaburo1956さんと知ったのは、本人が会場から帰った後だったけど、なぜあの場所にいたのか非常に疑問。明らかに現在のメディアやテレビ業界に対する知見が秀でていた。いつかチャンスが有ったら同じ業界の人を集めて色々お話してみたい。現状と、現場の人の志の乖離とか今後実現していくであろう現実とかが明確に文言化できたらとても楽しいと思う。さらにチャンスが有ればPTF(ポトフ)的な事もしてみたい。現役の設備をフルに使って送出をデムパじゃなくてIPでやったらどんだけ見られるか?どんな状態になるのか?実験的にやってみたい。

あと、俗に言うテレビはCMを流すために番組があるのであってCMのないテレビは有料放送でしかありえない。そんな前提も無いまま色々言っている人は如何なものかと思った次第。


最近めんどくさい事ばっかり言ってるエントリだらけだなぁ、モウロクしてきたのかも知れない。PyQTやら、WaveやらGAEで色々ネタはあるんだけど何故かそれより“めんどくさい”事を優先して書いている自分がいる orz