When it’s ready.

出来るまで出来ない

GoogleChromeOSについて思う

OSなんて作ってもしょうがなくね?それよりも、みんなが安心して使える性能重視の動画コーデックを作ったほうが良いような気がする。

正直Googleが発表するモノで、稼働するモノ以外はほとんどダメな物が多いように感じる。GmailやDocsは、発表と同時に招待制だが実働するアプリを公開した。こういう実働アプリが存在しているパターンは、ちょうど良いというか、ちゃんとしている。実際に使えるって重要だよね。

「買収しました」と発表だけして、その後Googleブランドで、出てくれば、ちゃんとしているのが多い気がする。EarthだったりAnalysisだったり買収ベースで実働するアプリは初期から充実した物だったりするので良い記憶が残ったりする。

しかし、発表だけで終わるモノも存在する。そういうのって、ちょっと問題有りなきがする。どっかのアバターシステムだったり、ドッジボールだったり・・・
今回のChromeOSにしてもちょいちょいスクショが出てるような出てないような感じだけど使えるような状況じゃないし、使ってみたよ!っていうのも聞こえてこない。これって駄目なパターンじゃない?

Gの中の人って、技術的にスゲーのかも知れないけど、サービスをリリースするやり方とかも凄いと感じる。リリース時は、普通のユーザー目線で便利だと感じればドンドンオープンにされていくし、そのレベルにない物は、表にすら出てこない。問題があっても気付いたらドンドン修正されるし、未来の約束はしないけど、致命的になる前に修正されるからあまり不満もない。いろんな意味で一歩先。
そんな中で。使えるレベルにないのに先に発表を行うChromeOS。色々勘ぐってしまう人が居るのはしょうがないと感じる。

ブラウザの中にnativeコード持ってきたり、ブラウザがOS的になろうとしたり、迷走感というかポリシー欠如な気がしなくもないが、そういうのをひっくるめて感じるのは、結局そういう行動を繰り返す事で、あらゆるユーザの思考が狭まってしまう気がする。PCをクライアント側とサーバー側に分けて考えるが当たり前的な前提条件だったりする。分け方は、もっと色々あるわけで、Gが得意な分け方が正しい分け方とは限らないだろと思う。だけど、そう感じるようなクラウドとか言われると他の事を考えるのが無駄な気がしてくる。例えば、手元に大量のデータやら計算があるPCの使い方もあるのに、ネットアプリこそ次世代アプリみたいな、そんな考えが当たり前のような来さえしてくる。(リアルタイムって、感覚的にいうと大体20ms以内だよね?ネット越しでその10倍とかもっとあるのにリアルタイムとはどゆことですか?)

そういう風潮が広がると、サバクラじゃないケースを考える人とか、ローカルで大量に保存や計算を行う人を軽視するというか肩身の狭い思いをさせる雰囲気になるんじゃないかと心配になる。まぁ、心配してどうなると言う気がするが、実際の情報だけでなくそういった、コンピューティングの技術発展の方向性でさえも、Googleハティブみたいな状況になるのはどうなのよ!という気がしたChromeOSの発表でした。