When it’s ready.

出来るまで出来ない

魂は細部に宿る

普段様々なCGを作る上で気をつけている事は、成果ブツを見た人に、何を受け取って貰えるか言う事。いろんな方法論や道具が有るにせよ。ざっくり言ってしまうと、見ている人は細部の作りに非常に影響される。画面の中のOJB配置を綺麗にしようが、計算し尽くした色構成を立てようが、細部の処理を怠ると台無しになる。

逆に、どんなに構成が適当だったり、いい加減なカラーパタンだったりしても、細部の処理を徹底的にこだわるとむしろ斬新な感じがしていい絵に見えてくることもある。

認知学とか、脳科学とかやってないけど経験上これは絶対だとおもう。優れたアートと言われるモノの細部を時間があったら凝視してみると分かる。そんなところまで見えないよ!というくらい小さなポイントまでしっかり手を省かずに処理されていたり、適当にインクを投げつけただけのような作品であっても、虫眼鏡で見ても美しいくらい細部まで造形が出来てたりしてる(これは、手を省くとか省かないとかそういう問題じゃないけど)とにかく、細部の情報量がその全体としての勢いにまで影響を与えている事は確か。そのナニカをぱっと見た際には、全く気にもとめてない細部が実はその印象に多大な影響を与えている。

ここ1年くらいPythonを使って少しずついろんな事を出来る用になってきた。(ヒューマンインターフェースを除いて)どれだけ細部に魂が宿るのかが最近気になる。逆に言うと、どこに魂を宿していいのかを悩む。また、その魂を宿すという行為に、自分が、興味が持てるのか? 楽しいと感じることが出来るのか? が非常に重要な事なのだと思っている。

コードを書く時って、大まかな全体の流れっていうのは実装時の初期段階のことで決して、決して、大まかなという訳ではなく、まだ詳細は考えてないって事かなぁと、(CGだったら大まかと言っても最初から詳細までひらめいている時がある)詳細が細部だとすると、インデントの付け方や、スペースの取り方なのか?いや違うだろう。じゃあなんだろう?

料理にせよ、車の製造にせよ、ナニカを作るというその結果には、魂が宿るすればそれは細部だとおもう。だとすれば、プログラミングの細部はどこなのか? 物理的に作らないから細部はないと言っても文学や、音楽こそ細部に魂が宿っていると思っている。プログラミングだけ特殊な存在とは思えないのできっと細部は有るはず。

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